MENU

NOTES

ESSAY VOL.01

2015.04.02 text by 草刈民代

『ことしもまた春がやってきた』

今年も、また春がやってきた。もうそろそろ桜が咲き、数週間経つと散り、そのうち暖かくなり、梅雨になり、猛暑の夏が過ぎると、涼しくなって、秋となり、徐々に寒さが厳しくなって来た頃、1年が終わり、また次の年となる。

1年経つのは早い。

1年が早いと感じるようになったのは随分前のことだが、最近は「また春がきた」「また夏になった」というように、感じ方が変わって来ていることに気づく。季節を積み重ねることが当たり前になってきている、という感じかな。

今年の誕生日で、生まれてちょうど半世紀となる。若い頃に思う50歳というと、かなり年を重ねた印象だったが、実際に50歳を迎える今思うのは、年を重ねる実感って良くわからない、ということ。時間の進み方は、その時の自分の在り方によって感じることが違うものの、一日24時間というのは、生まれてから今まで変わらない。時間は常に流れ、進んでいる。だからこそ、それがどの位積み重なっているのかというのは、心に触れるような、ちょっとしたきっかけがないと、わからないものなのかもしれない。

そもそも私は、前しか見ないようなところがあり、振り返ってしみじみするようなことが少ないタイプの人間だ。気持ちの切り替えも早いし、それにせっかちなところがある。誕生日は5月で、まだ時間があるのに、もう50歳になったことを書いている。そんなに急がなくてもいいはずなのに。

さて、先日ケイタマルヤマの受注会に行ってきた。コレクションにお招きいただき、ランウェイを歩くモデルさんたちが着ていた服を見て、今年こそ、ぜひケイタさんの服を着たいと思ったからだ。

ケイタさんの服は、かわいい華やかさがあると思う。日本的な、丸みのある可愛さというか。今回のショーはクラシカルな雰囲気のある作品も沢山あり、「着たい!」と心が動いたものがいくつもあった。

私は、ファッションショーに行く方ではない。随分前には、お誘いを受けることがあったが、行く機会を逃しているうちに誘いがこなくなった。それに、今までの私の洋服選びは、「気分転換」が大きな目的だったため、直感に従ってそのときに着たいものを買うことに徹底していたのだ。

しかし、数年前から、そういう買い方や選び方に疑問を持つようになった。また、何を着たら良いのかわからなくなったのもその頃。「本当に着たい洋服ってどんなものなんだろうか?」と、改めて考えてみたら、何のイメージも浮かばず、唖然としたことがある。

何事も深く考え始めると、よくわからなくなってしまうものだが、着たい服だけでなく、今の自分は何がしたいのか良くわからない状態になっているのかもしれない、とまで考えるようになってしまった。

でも、先日のショーを見ながら、作った人の思いを感じられる洋服っていいな、と改めて思ったのだ。例えば器など、ここ数年で、実際に作家に会い、気に入って選んだものを使うようになってきたのだが、毎日の食卓で「今日はこのお皿にしよう」と選ぶとき、必ずその作家さんのことを思い出すことになる。そういう触れ合い方って、なかなか良いものなのだ。

今と10年後は着るものがかなり違っているかもしれない。それでも、ちょっとずつ直しながら、これから10年着れる服と出会えたなら、それは素敵なことだ。それほど意識をしていなくても、時代の影響は受けるし、年々トレンドの展開が早くなり、10年袖を通せる洋服には、なかなかお目にかかることがない。(と書いたが、コート類は、ないわけではないか)

着るものに悩む理由。私にとってそれは、どうしたらフレッシュな気分が味わえるか?ということにある。気分転換をしたがるのは、自分自身のテンションを落とさないため、のような気がする。しかし、年を重ねるごとに、ただ目新しい物を見つけるだけでは、物足らなくなってきた。

こういうことが年齢を重ねることの実感なのかな。気に入るもの、求めるものが大きく変わってくる予感。50代は面白い」という人が多いのだが、なんだか、その意味がわかるようになるのかもしれない。楽しみになってきたぞ!

t