周防正行 Masayuki Suo
1956年、東京都生まれ。
立教大学文学部仏文科在学中に映画評論家の蓮實重彦の講義を受けたのをきっかけに映画監督を志し、自主映画を製作し始める。
大学4年生の夏、知人の務める店の常連だった高橋伴明監督に自ら助監督を志願。その年の秋、電話番からキャリアをスタートし、『少女情婦』に携わる。助監督として年間10本以上の作品に参加。高橋伴明監督はもとより若松孝二監督、井筒和幸監督らの作品にも参加し、多忙な日々を送る。
高橋伴明監督がディレクターズ・カンパニー設立に参加したのを機に、82年、当時一緒に仕事をしていた磯村一路、福岡芳穂、水谷俊之、米田彰と共に事務所を構え映画製作集団「ユニット5」を結成。
その中で生まれた企画『スキャンティドール 脱ぎたての香り』で84年に脚本デビュー。
同年、小津安二郎監督にオマージュを捧げた『変態家族 兄貴の嫁さん』で監督デビュー。異彩を放つこの作品で注目の人となる。
86年、蛭子能収原作のTVドラマ『サラリーマン教室 係長は楽しいな』、87年、映画『マルサの女』のメイキング・ビデオ作品『マルサの女をマルサする』を監督。
89年、当時大映に在籍していた桝井省志がプロデューサーを務め『ファンシイダンス』を監督。
92年、『シコふんじゃった。』で日本アカデミー賞最優秀作品賞を受賞。93年7月、「アルタミラピクチャーズ」の設立に参加。96年、社交ダンスブームを巻き起こした『Shall we ダンス?』で第20回日本アカデミー賞13部門独占受賞という快挙を果たし、05年にはハリウッドでリメイク版も公開された。07年、『それでもボクはやってない』が公開され、キネマ旬報・日本映画ベストテン第1位ほか各映画賞を受賞した。11年、『ダンシング・チャップリン』が公開。単館上映にも関わらず、ロングランヒットとなり話題を呼んだ。12年、『Shall we ダンス?』以来16年ぶりのコンビとなる、草刈民代と役所広司を迎え、『終の信託』を監督。毎日映画コンクール・日本映画大賞ほか各映画賞を受賞。14年9月13日には、舞妓になりたい少女を主役にした映画『舞妓はレディ』が公開待機中。
[ MOVIES ] |
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1984 |
変態家族 兄貴の嫁さん |
1989 |
ファンシイダンス |
1992 |
シコふんじゃった。 |
1996 |
Shall we ダンス? |
2007 |
それでもボクはやってない |
2012 |
ダンシング・チャップリン |
2012 |
終の信託 |
2014 |
舞妓はレディ |
1991 |
シコふんじゃった。(太田出版)<1995(集英社文庫)> |
1996 |
Shall weダンス?周防正行の世界 (ワイズ出版) |
1998 |
『Shall we ダンス?』アメリカを行く(太田出版)<2001(文春文庫)> |
1999 |
Shall we ダンス?―シナリオ対訳(愛育社) |
2000 |
スタジアムへ行こう!―周防正行のスポーツ観戦記(角川書店) |
2001 |
インド待ち(集英社) |
2002 |
ファンの皆様おめでとうございます(大巧社)※若松 勉・周防正行 著 |
2005 |
アメリカ人が作った『Shall we ダンス?』(太田出版) |
2007 |
それでもボクはやってないー日本の刑事裁判、まだまだ疑問あり!(幻冬舎) |
2011 |
周防正行のバレエ入門 (太田出版) |
「シコふんじゃった。」 |
第16回日本アカデミー賞 |
「Shall we ダンス?」 |
第20回日本アカデミー賞 |
「それでもボクはやってない」 |
第31回日本アカデミー賞 |
「終の信託」 |
第36回日本アカデミー賞 |