バレエを含め、幅広いジャンルで活躍してきた
草刈民代のこれまでの軌跡。

草刈民代(くさかり たみよ)

1965年 東京生まれ。
8歳でバレエを始め、16歳から牧阿佐美バレヱ団に参加。18歳で主役デビューののち、同バレエ団の主役を数多く務める。同時に “華のあるバレリーナ”としてTVコマーシャルや雑誌、映画にも出演。日本を代表するプリマバレリーナとして、国内外の舞台で活躍している。
■主なレパートリー>>>

「その頃は、稽古場に入るのも、バーにつかまるのも、バレエシューズをはくのも全部嬉しくて(笑)。なんだかあっという間って感じでした」
『バレリーナのアルバム』1998、新書館刊

1973年
小林紀子バレエアカデミーに入門。

1978年

橘バレエ学校に入学。

1981年

専門家育成を目的としたAMスチューデンツ第1期生に選抜される。高校を中退し、牧阿佐美バレヱ団の準団員になる。




1984年
橘バレエ学校を卒業し、牧阿佐美バレヱ団の正団員に。
10月、同バレエ団公演「恋の絲」(牧阿佐美振付)の主役に抜擢。

1987年
1月、牧阿佐美バレヱ団「白鳥の湖」でオデット/オディールの初役を務める。
4月、全国舞踊コンクール第1部第1位、文部大臣奨励賞を受賞。

1988年
昭和63年度村松賞舞踊部門を受賞。

1989年

第16回橘秋子賞を受賞。

1990年
7月、ソビエト文化省の招聘による牧阿佐美バレヱ団ソビエト公演へ参加。

1991年
4月、モスクワ・ダンチェンコ劇場に招かれ「ドン・キホーテ」を踊る。
10月、旧ユーゴスラビア、ルーマニア4都市の劇場から招聘を受け「ジゼル」「ドン・キホーテ」を踊る。

1994年
11月、レニングラードバレエシアターの来日公演に客演、「ジゼル」を踊る。



「撮影中はまさか結婚することになるなんて夢にも思いませんでした」(新書館刊『バレリーナを生きる 草刈民代のすべて』1998)j


1996年
1月、映画「Shall we ダンス?」(周防正行監督作品)に出演。これにより、第20回「日本アカデミー賞」新人俳優賞、最優秀主演女優賞、「日本映画批評家大賞」特別女優賞、第18回「ヨコハマ映画祭」最優秀新人賞、「キネマ旬報ベストテン」新人女優賞を受賞。また、フランス高級香水協会からは「マドモアゼル・パルファム賞」、DTCから「ダイヤモンド・パーソナリティ賞」が贈られた。
3月、映画監督周防正行氏と結婚。

1997年
10月、モスクワ音楽劇場バレエ日本公演に出演。続いて、レニングラード国立バレエの招きで、サンクトペテルブルグ・マールイ劇場公演に出演。
この年、13回服部智恵子賞を受賞。

1998年

1月、レニングラード国立バレエ日本公演に客演、「白鳥の湖」を踊る。

1999年

4月、新国立劇場オペレッタ公演「こうもり」に出演、イダ役を踊る。
5月、「若者と死」オリジナル版日本初演で、ファ厶・ファタル役を踊る。

2000年

4月、トヨタ・ミレニアムコンサートに出演。


「『カルメン組曲』は以前から憧れていた作品だった。日本で上演される時は、必ず見に行き、そのたびに、いつか踊りたいと思いを馳せていたのだ」


2001年
9月、モスクワでインペリアルロシアバレエと共演、「カルメン組曲」を踊る。

2002年
9月、新国立劇場バレエ団公演「こうもり」に主演。
10月、レニングラード国立バレエと共演、マールイ劇場で「竹取物語」「海賊」を踊る。

2004年
2月、牧阿佐美バレヱ団公演「ピンク・フロイド・バレエ」新制作版日本初演に参加。
12月、パークハイアット東京の10周年記念チャリティガラパーティ「ドリームシアター」に出演、「Neophilia」(田中祐子振付)を踊る。

2005年
5月、愛・地球博、野外ステージ公演「『愛と祈り』を舞うー星降る夜のパ・ド・ドゥ」を自らプロデュース、主演。約2万5千人を動員。
9月、牧阿佐美バレヱ団ヨーロッパ公演に参加。フランス、スペインで「ピンク・フロイド・バレエ」を踊り、好評を博す。


『何かに挑戦をする意志をもたなければ、この道で生きてゆくことはできない』 とローラン・プティ氏から教えられた気がした。


2006年
2月、『全身「からだ革命」』が出版される。20代後半で椎間板ヘルニアになり、克服するために実践した食事やトレーニングについての自らの体験を執筆した。
3月、自身による初の書き下ろしエッセイ『バレエ漬け』が出版される。
10月、韓国国立バレエ団の招聘によりソウルアートセンターにてマッツ・エック版『カルメン』に主演。
9月〜11月、『ソワレSoirée de Danse Roland Petit』を自らプロデュース、ならびに主演。パリ・シャンゼリゼ劇場を皮切りに、上海、台湾、香港、日本各都市へと世界ツアーを行う。二人のアジア人バレリーナがローラン・プティ氏の描く様々なタイプの女性を表現し、海外でも高い評価を得た。

2007年
1月、レニングラード国立バレエ日本公演に出演。『白鳥の湖』を踊る。
7月、イタリア『スポレート・フェスティバル』に出演。野外劇場でレモンド・レベックとローラン・プティ氏の『レダと白鳥』『ピンク・フロイド・バレエよりヘイ・ユー』を踊る。
7月、レニングラード国立バレエ日本公演『華麗なるクラシックバレエ・ハイライト』に出演。

2008年

1月〜2月、レニングラード国立バレエ日本公演に出演。最後の『白鳥の湖』を踊る。
8月〜9月、レニングラード国立バレエ日本公演『華麗なるクラシックバレエ・ハイライト』に出演。
10月、『エスプリ〜ローラン・プティの世界〜』の制作発表 記者会見を行う。この公演を最後にバレリーナ引退を発表。

2009年
1月、レニングラード国立バレエ日本公演に出演。クラシック・バレエとしては最後になる『ジゼル』に出演。イーゴリ・コルプ初のガラ公演『奇才コルプの世界』に出演。
4月、自らの企画・構成・プロデュースによる『Esprit〜エスプリ〜 ローラン・プティの世界』を最後にバレリーナを引退。全14公演(全国11都市)で2万9千人を動員した。

9月~10月、女優としての初舞台は、鈴木勝秀演出『宮城野』(矢代静一作)。安田顕(TEAM NACS)との二人芝居は、東京12公演(内2回は追加公演)、大阪3公演、名古屋2公演、札幌4公演の計21回。


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